masaです。
納豆やキノコのように、世の中には「どうしてこんなもん食べようと思ったの?!」なんて食材がありますよね。
似たような話で、「誰が最初にこんなの作ろうと思ったの?」みたいなものもたくさんあります。まぁ、こんなこと言い始めるとキリがないんですけど(笑)
今回は醤油。醤油って、確か大豆に麹を混ぜて発酵させて作ります。
→うすくち・こいくち・白・たまり…醤油の種類は作り方で変わる?!
今でこそ当たり前のように存在してますけど、これって偶然できたものなんでしょうか?それとも・・・?
醤油を初めて作った人は誰?
結論から言うと、時は1254年(鎌倉時代)の禅僧。お坊さんですね。信州の覚心(かくしん)という方が作ったことになります。
「ことになります」っていうのは、この覚心さん、作ろうと思って醤油を作ったわけではないんですね。はい。醤油は偶然の産物だったという結論になります。
醤油の起源は中国にあり?
いかにして覚心さんが醤油を生み出すことになったのかという話ですが、その話に辿り着くまでにはまず醤油の原点ともいえる「醤(ジャン)」話を移しましょう。
しょうゆのルーツとなっているのは中国の醤。豆板醤やコチュジャンの「じゃん」ですね。じゃ~ん!!
醤=塩漬け?
醤というのは、もともと食材を塩漬けにしたものの名前でした。
- 野菜や果物→草醤(くさびしお)
- 魚・肉→魚醤(うおびしお)
- 米・麦・大豆などの穀物→穀醤(こくびしお)
日本でいうところの漬け物みたいなものでしょうか?これが日本に伝わったものが後の醤油の原型になります。
醤油の原型は穀醤(こくびしお)
いつ日本に「ひしお(醤)」が伝わったのかはわかっていないそうなんですけど、大宝律令によれば(710年にできた令ね)宮内庁では大豆を原料にした醤が作られていたとされているんだそうな。
この大豆の醤なんですけど、今で言うところの味噌みたいなものなんですね。気になる人は後で豆を塩漬けしてみたら良いと思います(゚Д゚)←雑
この味噌のような大豆の醤こそ、後に醤油として進化するものになります。
話は覚心(核心)へと戻る
絶妙なダジャレが出たところで、話は冒頭の覚心さんへと移ります。覚心さんは、醤油を作ろうと思ったわけではなく、この穀醤(こくびしお)、つまり味噌の作り方を中国から持って帰ってきていたんです。
醤油、爆誕
紀州の湯浅。和歌山県ですね。ここの村人に持ち帰った味噌の製法を伝えているときに事件は起きました。
「覚心さん、おめぇ、その味噌とかいうやつから変な汁出てるでねぇか」
「ん?あ、やっべほんとだ。・・・あっ、指についちまった、クソッ」
ペロっ。
・・・・
覚心「キタコレ( ・∀・)」
これが醤油の誕生秘話なんだそうな。
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関西で醤油つくり本格化
よもやこんな偶然から日本の食卓の超定番、メジャーな調味料になるとは覚心さんですら想像しなかったのではないでしょうか?
湯浅で生まれた醤油はその後本格的に製造され、1580年には日本初のしょうゆ屋さん。「玉井醤」がオープン。1588年には玉井醤から関西へ大量の醤油が送られたんだそうです。
全国規模の調味料に
その後、紀州から関西、関東へとしょうゆは日本に広がり、それぞれの地域で製造。やがて日本になくてはならない調味料として不動の地位を確立していきます。
もちろんというかなんというか、今の関東のしょうゆのルーツは江戸。関西から来た醤油の製法をいじくって、江戸っ子好みの濃い味にしたんですね。
こんなふうに、今ではその土地ごとに、いわばご当地醤油みたいなものもたくさんありますよね^^
おわり
こう考えると、あの日に覚心さんと村人とのやりとりがなかったら今の醤油は存在しなかったのかもしれませんね。
否、世界にあるありとあらゆる食材や調味料に、必ずルーツとなった人ってのが存在するわけですよね。これってなんだか不思議な気分になりませんか?
その人たちが見つけなくても、それはそうなる運命だったんでしょうか?それとも・・・。
もしかしたら、これからもひょんな発見から世界に残る調味料が生み出されるかもしれない。
想像するとワクワクしてきませんか?( ・∀・)masaでした♪